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北公次の死因や暴露本光GENJIへの内容は?若い頃の画像は?

2017/05/14

SMAPの再結成を願う任意団体「JBI ジャニーズ探偵局」なるものが設立されました。

私が感じたのはこの内容についてかなり詳細に書かれていましたので、これを読んだ時にジャニーズ事務所にかなり近い人物?マスコミ関係の人物なのか?と思いました。

わたしも思ったのですが、設立者のA氏の衝撃告白の中で登場した「北公次」さんという人物は誰?って思いませんでしたか?

北公次さんは既にお亡くなりになっていますが、その北公次さんの死因はなんだったのか?

北公次さん著書の暴露本『光GENJIへ』の内容や若い頃の画像を調べてみました!

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北公次の死因はなんだったのか?

2012年2月22日に元フォーリーブスの北公次(きたこうじ)さんが亡くなりました。

北公次(きたこうじ)さんが亡くなった原因ですが、肝臓がんでした。

2009年1月28日に元フォーリーブスの青山孝史(あおやまたかし)さんも、同じ肝臓がんで亡くなられています。

今から15年前のはなしですが、私の母が2002年にフォーリーブスが再結成して喜んでいたのを今でも思い出します。

 

北公次の暴露本『光GENJIへ』の内容は?

光GENJIが1987年にデビューして人気絶頂だった1988年に出版された本なので、かなり衝撃的だったのを思い出します。

私が高校生だった頃にこの本が本屋にずらっ~と並べられていたのも覚えていますね。

かなり話題になりましたからね。

光GENJIへ

北公次の暴露本『光GENJIへ』の227ページの内容をすご~い簡略して抜粋すると

・ジャニー喜多川との出会いから4年半もの間、その行為は毎晩のように続いた

・毎晩のように続いた行為は恋人同士というより夫婦のような日常生活になっていた

・北公次(松下公次 まつしたこうじ)の芸名の「北」 はジャニー喜多川の「キタ」をとってつけられたことに、ジャニー喜多川の愛を感じ、とても満足だった

・ジャニー喜多川に可愛がられなくなったら最後だと分かっていたのはいうまでもなく、フォーリーブスが国民的なトップアイドルになると、北公次はジャニー喜多川の求めを拒絶するようになった

・そのため、興味が郷ひろみや豊川誕、川崎麻世らの10代の新人タレントに向けられるようになり、フォーリーブスへの情熱を失っていくようになると、人気は低迷し解散へと進んでいった

光GENJIは1994年に大沢と佐藤が脱退し、翌1995年には残り5人も解散しました。

北公次の暴露本『光GENJIへ』は1988年11月に出版されたましたが、内容が1975年に出版された本人著書の『256ページの絶叫』と重複する部分が多いです。

ちょうど1988年といえば北公次さん自身も離婚をされて、故郷の和歌山に戻りスナックで働いたりしている時期です。

まとまったお金が欲しかったからではないか?といわれたこともありました。

 

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北公次の若い頃の画像は?

正直なところほとんどありませんでした。

今みたいにデジカメが普及している時代でもありませんので、このページの上に紹介した著書の『光GENJIへ』のしゃがんでいる男性が若い頃の北公次さんです。

また、下記はアマゾンのCD販売ページになりますが、『ザ・ベリー・ベスト・オブ・フォーリーブス』のCDジャケットの一番下の男性が北公次さんです。

 

ザ・ベリー・ベスト・オブ・フォーリーブス

こうしてみると、今のこの現代にデビューしてても人気のある顔立ちですよね。

いや~、こんな顔に生まれたかったですよ。

 

まとめ

2012年2月22日に北公次(きたこうじ)さんが亡くなった原因は肝臓がんだった。

光GENJIが人気絶頂だった1988年に出版した『光GENJIへ』はジャニーズ事務所とジャニー喜多川氏の内容が赤裸々に書かれている。

 

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